作成者別アーカイブ: 樹源寺 管理人

樹源寺 管理人 について

樹源寺 横浜市保土ヶ谷区の緑あふれる寺院です。 樹源寺の名称はこの大ケヤキに因んで「樹を源とするお寺」と命名されました。 残念ながら現在このけやきはありません。しかし、大けやきの伝統は今も境内の庭園の随所に受け継がれています。樹源寺は四季折々の多くの木々や花々に囲まれ、その山水造りの庭園は厳かな凛とした聖域を醸しだしています。当山に住まうご先祖が安らかであるように、当山を訪れる人々の心が少しでも癒されるように、毎日々丹精が続けられ大けやきの伝統が受け継がれています。

ファッションブランドの撮影がありました。

ファッションブランドNehanne MIHARA YASUHIRO」の撮影のため、

俳優の早乙女太一さんが樹源寺にいらっしゃいました。

約300年の歴史を誇る、樹源寺の本堂ですが、

プロのカメラマンさんに、とても格好よく撮っていただいております。

ドラマチックなプロモーションビデオも必見です!

副住職も、「音」だけ出演しております。

(20秒〜聞こえる木柾の音は、副住職が打ちました。)

→ 動画こちらから閲覧できます!

 

撮影後、早乙女さんと一緒に記念撮影をお願いしました。

早乙女さん、長丁場の撮影でお疲れにも拘らず、

スタッフの方と一緒に、本堂の片付けを手伝ってくださいました。

ありがとうございました!

ペット供養(源龍大善神祈祷会)のご案内

〜ペット供養「源龍大善神祈祷会(げんりゅうだいぜんじんきとうえ)」のご案内〜

 『涅槃経』というお経典には「一切衆生悉有仏性」という言葉がございます。これは「生きとし生ける全てのものには、仏様の性質が備わっている」という意味です。また『法華経』には、「龍女成仏」という思想が説かれています。これは動物である雌(メス)の龍(蛇)も仏になることができることを示した教えです。

 当山では、昨年日蓮宗大荒行入行堂成満を果たした副住職(日比宣仁上人)が導師となって、皆様のペット供養、畜生道供養のご祈祷会を『源龍大善神祈祷会※』と称して催します。

 まだ、供養がなされていないペット、心残りになっている動物がおありの方は、本祈祷会で正式なご供養をいたします。

 私達は、輪廻の世界(地獄・餓鬼・畜生・修羅・人・天)に住するとされます。次生まれ変わる場所が人間界とは限りません。畜生道も等しくご供養することも、仏教の正当な考え方であると存知ます。


日時:平成30年2月11日、日曜日(建国記念の日) 午後2時より

場所:横浜市保土ケ谷区保土ヶ谷町3丁目172番地

日蓮宗 妙秀山 樹源寺本堂


ご供養申込み方法

1)ペット、あるいは動物の種類とお名前

2)命日

3)年齢(満○歳、数え○歳とお申し込み下さい)

上記の三項目をご用意の上、電話・Eメール・FAXでお申込み下さい。


皆様のご参詣をお待ちしております。

※「源龍大善神」とは、かつて当山の境内に聳えた大欅の守護神で、その正体は大きな白蛇であったと伝えられています。

鹿苑第1号

樹源寺 法話箋鹿苑第一号

二〇一六年 春夏

樹源寺副住職 日比宣仁(せんじん)

  • ごあいさつ

いつも、お檀家の皆さまには大変お世話になっております。ご先祖さまや、樹源寺の仏さま、諸天善神へお参りにいらっしゃる皆さまの姿を拝見する度に、心が引き締まり、さらなる精進を致したいと誓願を立てている日々でございます。

さて、先代住職(日比宣正)が初めて法話箋を発行させていただいたのは、昭和四十五年(一九六〇年)のことです。先代は、仏さまの教えを皆さまにお伝えしつつ、樹源寺の主な年中行事(年始・春と秋の彼岸・お盆)のご案内をいたしたいという意向から、この法話箋を初めたそうです。今では、現住職(日比宣俊)が法話箋を引き継ぎ、今年も既に第一九一号を執筆したところでございます。この法話箋は先代の意向どおり、皆さまのお陰さまをもって、今でもお檀家の皆さまに仏さまの教えをお伝えし、樹源寺の年中行事のご案内をし続けることができていると言えるでしょう。そして、私もいつかはこの法話箋を引き継ぎ、絶やしてはならないと考えております。しかし、いきなり法話箋を引き継いで、年中行事のご案内はともかく、仏さまの教えを文章に書き起こすことは、中々取り組みにくいことでしょう。

そこで、この度、『樹源寺 法話箋鹿苑』という名前で、仏さまの教えを文章にする訓練として、毎年二回(上半期・下半期)お便りを発行させていただき、樹源寺大玄関の横に置かせていただくことに致しました。

つたない文章ではありますが、どうか皆さまのお目に、このお便りをかけさせていただき、ご指導、ご意見をいただければ、幸いであります。

 

  • 鹿苑について

さて、既に申しましたが、このお便りは『樹源寺 法話箋鹿苑』という名称にいたしました。この鹿苑という言葉は、インド北部、ガンジス河中流に位置するバラナシという都市近郊にあるマルガダーバという園の名前を漢字に意訳したものです。名前に鹿という語があるということは、鹿苑には鹿が沢山いたのでしょう。お釈迦さまは、菩提樹の木の下で悟りを開かれた後、この鹿苑において、お弟子さんに対して自らの悟りの内容を初めて説かれました。この出来事を初転法輪(しょてんぼうりん)と申します。「初めて法輪を転ずる」という意味です。「法輪を転ずる」とは、仏さまの教えを説くことを言います。仏教の歴史は、お釈迦さまによる、この「教えを説く」という行動から始まったと言えるでしょう。

仏さまの教えがいくら沢山あり、素晴らしいものでも、それを人々にお伝えしなければ全く意味がありません。私は、このことを心に留め、法輪を転じ続け、樹源寺の境内に仏さまの教えが遍満し、お檀家を始め、樹源寺に参詣される方、また、樹源寺にご縁がある方々のお役に、少しでも立たせていただきたいという願いを込めて、「鹿苑」という言葉をこのお便りの名称に入れさせていただきました。

我此土安穏 天人常充満

最後までお読みいただき、ありがとうございました。

妙秀山樹源寺 副住職

日比宣仁

慈翔院日仁

法話箋第192号

昔々、「茗荷(みょうが)を食べると物忘れがひどくなる」と聞いたある宿屋の夫婦がいました。あるとき、景気のよさそうな客が大きな財布をもってその宿屋に泊まりにきました。欲深い宿屋の夫婦は何とかあの財布を忘れていかせいようと客に茗荷づくしの料理を食べさせることを思いつきます。茗荷の串焼き、茗荷の浅漬け、茗荷の煮付け、茗荷の酢の物、茗荷のお椀、そして茗荷ご飯。亭主はこの献立を「茗荷の重ね喰い」と名付けました。

亭主「お客様、田舎のことでなにもございません。裏の畑でとれた茗荷で少々作ってまいりました。どうぞ召し上がってください。」

客「これはうまそうだ、オレは茗荷が大好物でなぁ、いただきます。」どれも美味しかったので客は大喜びでした。

夫婦は寝物語に、「明日の朝食も茗荷ばかり出せば、あの財布は間違い無く忘れて帰るぞ。そしたらお前には着物を買ってやる、俺は上等の洋服にしようか」などと胸をふくまらせて就寝しました。

翌朝、亭主「お客様、昨晩はまことにお粗末さまでしたが、喜んでいただけたようですので、今朝も茗荷づくしの朝食にいたしました」客「それは有り難い。これは茗荷の味噌汁か、これは茗荷の煮物、これは茗荷の漬け物、みんなおいしい、おいしい。」

やがて客は上機嫌で帰って行きました。

亭主「オイ、早くあの客のいた座敷を探せ、何か忘れているはずだ。どれどれ押し入れの中かな、なに、戸棚の中かな、待てよ、手洗いか、机の下か、おかしいぞ、なんにも忘れてないじゃないか。へんだな・・・・・」すると、大声を張り上げ女房が飛んで来ました。

「大変だよ、宿賃はらうのを忘れてったよ。・・・」

このお話は山口県に伝わる昔話しです。後に十代目金原亭馬生の落語「茗荷宿」の題材にもなっています。人は誰しも、「災いは他人に、幸せは自分に来るもの」と思っています。しかし、現実はそんなに甘いものではありません。気をつけましょう。

 

法話箋第191号

今年もお盆の時期が近づいてまいりました。お盆といえば幽霊の季節です。幽霊といえば江戸時代中期の絵師、丸山応挙(まるやま おうきょ1733-1795)が描いたあの薄気味悪い幽霊図が有名です。

ところで、ある時この応挙の幽霊図を二人のお婆さんが見ていました。すると、一人のお婆さんが、その恨みつらみの積もった凄まじい顔をした幽霊の眼を見て、ぽつりとこう呟きました。「あぁ怖い。あの眼は嫁の眼だ・・・」と。すると、もう一人のお婆さんも同じ幽霊の眼を見て呟きました。「あぁ恐ろしい。私はあんな眼で嫁を見ていたのかもしれない・・・」と。

つまり、一人のお婆さんは幽霊の眼を「嫁の眼」だとみました。そして、もう一人のお婆さんは同じ幽霊の眼を「自分の眼」だとみたのです。

さて、仏教では、私共迷いの世界に暮らしている凡夫の眼を「肉眼」(にくげん)といいます。それに対して、仏様の眼を「仏眼」(ぶつげん)とよびます。そして、凡夫の肉眼は「他人の非が見える眼」だといいます。それに対して仏様の「仏眼」は「自分の非がみえる眼」なのです。換言すれば、自己の非に目覚めることのできる眼が「仏眼」なのです。

なぜなら「仏眼」はその人の心が仏様と同じ心になった時に初めて備わる「眼」だからです。仏様の心とは自分のことよりも常に周囲の立場に立ってものごとを考え行動するような、自己中心の我が無くなった心をいいます。

このことから考えると、幽霊の眼を「嫁の眼」だと見たお婆さんの眼は凡夫の「肉眼」になります。しかし、幽霊の眼を「私の眼」だとして、自分の非に気付いたお婆さんの眼は「仏眼」だということになります。

幽霊の眼を「嫁の眼」だと見ているうちは、このお婆さん、絶対にお嫁さんと仲良くすることは出来ないでしょう。しかし、もう一人のお婆さんのように幽霊の眼を「自分の眼」だと思える様になったとき、このお婆さんはお嫁さんの立場に立ったことになりますから、きっと仲の良い嫁姑の関係が出来上がることになるのだと思います。

副住職がお嫁さんをもらいました。人ごとではありません。私も気をつけます。

法話箋第190号

人は誰しも「悔いの無い人生」を送りたいと思っています。しかし、私共の長い人生には誰にでも必ず「苦労」や「困難」や「挫折」があります。だから大抵の人が「あの苦労さえなければ良い人生でした」とか、「あの困難さえなければ素晴らしい人生でした」とか、「あの挫折さえなければ最高の人生でした」といいます。

しかし、本当に苦労も困難も挫折もないような完璧な人生が「悔いのない人生」といえるのでしょうか。だって、この世の中には苦労も困難も挫折もない人なんて一人もいないのですから・・・・。もしそうなら「悔いの無い人生」を送れる人は誰もいなくなってしましいます。

だから私はこう思います。「あの苦労があったからこそ今がある」「あの困難があったからこそ今がある」「あの挫折があったからこそ今がある」といえるような人生。つまり、苦労や困難や挫折を乗り越えて「あの時はどうなるかと思ったよ、しかし、あの時あの困難があったからこそ今があるんだ」といえるような人生。これが本当の「悔いの無い人生」だと思います。そして、こう思えた時、人生における不運は不運ではなくなります。そしてその不運が、自らの心を鍛えるための試練であったことに気づくことが出来るのです。

日蓮聖人は聖寿38歳の時にしたためられた『守護国家論』という論文の一節に「この生(しょう)を空(むな)しうすることなかれ」とお述べになり。聖寿56歳の時にしたためられた『富木殿御書』というお手紙の一節に「一生空(むな)しくすごして、万歳(ばんざい)悔ゆることなかれ」とお述べになっています。このように日蓮聖人は執拗に人生を漫然と過ごしてはならない。大切な一生を無駄にしてはならない。悔いのある人生を送ってはならない。と私共に警鐘を鳴らされています。

そして、日蓮聖人のおっしゃる「悔いの無い人生」とは、当に世間の苦労や困難や挫折をのり超えた時、初めてつかめる真に充実した人生をいうのです。それはあたかも、汚い泥沼から養分をもらい、しかもその泥の汚れに染まることなく、清楚で真っ白な大輪の花を咲かせる白蓮華のような人生。『妙法蓮華経』の教えに則った人生をいうのです。