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〒240-0021 横浜市保土ヶ谷区保土ヶ谷町3-172
当山は、旧東海道沿いに位置し、石段を登り切った高台に入り口の山門があります。山門をくぐると、突然、緑豊かな荘厳された境内が目に飛び込んできます。右手には身延山久遠寺(日蓮宗総本山)境内の苗から育った、大きなしだれ桜。斜め左手には手入れされた大きな黒松があり、その奥に薬師如来をお奉りした薬師堂(通称、お薬師様)があります。
写真左下
八月初旬、境内に咲くサルスベリ(百日紅)の花
薬師堂を正面にして玉砂利の敷かれた参道を左手にすすむと中ほど左手に庫裡(くり)の大玄関があり、更に奥に進むとご本堂がひっそりとたたずんでいます。ご本堂の右手には石組みのみごとな山水造りの庭園があり、池には紅白の錦鯉が悠然と泳いでいます。池の周囲には樹齢四百年と伝わる百日紅(ひゃくじっこう・サルスベリ)の大木が三本あり、八月のお施餓鬼会の頃には真っ赤な花を一杯に咲かせます。
寺号が「樹を源とするお寺」であるように、当山の庭園には樹木が多く、春にはしだれ桜・つつじ・杏の花。初夏には沙羅・梅の実などの新緑が一杯に広がり、秋にはもみじ、冬には寒椿、白梅など、一年を通して季節の移り変わりを楽しむことが出来ます。
尚、当山の墓地は、東海道線を踏み切った小高い山の南面に広がり、日当たりの良いとても明るい場所にあります。山の中腹には明治時代の劇作家、山崎紫紅(しこう)の墓があることで知られています。
詩人、劇作家、のちに政治家となった紫紅(本名は小三)は、西区戸部の生まれで、当山門前にある「山崎翁壽碑」の山崎小三郎の孫であり横浜の名門である。はじめ明星派の詩人として小島鳥水を識り、明治35年長編叙事詩「日蓮上人」を書いて、高山樗牛の推薦をうけ、横浜出身の今村紫紅が口絵を書いている。44年3月、帝国劇場の開場に「頼朝」を舞台に送って喝采を浴びた。墓所の「山崎紫紅」の文字は祇園の詩人、吉井勇の筆。戒名は「清蓮院紫紅日輝居士」。