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鹿苑第2号

樹源寺 法話箋鹿苑第2号    2016年 秋冬

暑い夏もあっという間に終わり、一気に寒くなってまいりました。樹源寺のお檀家の皆さまにおかれましては、お元気でお過ごしのこととお慶び申し上げます。

さて、既にご報告させていただいたのですが、この度私は、平成28年度日蓮宗大荒行堂という修行に入らせていただくことになりました。期間は100日間ですので、約3ヶ月間樹源寺に不在になるということです。その間、お檀家の皆さまにはご迷惑をおかけしてしまいますが、何卒宜しくお願い致します。

さて、突然ですが「アリとキリギリス」のお話はご存知でしょうか。

①アリは夏の間、冬に備えてせっせと働き食料を蓄えていた。

②一方、キリギリスは夏の間働きもせず、歌を歌って過ごしていた。

③冬になり食料のないキリギリスはアリに食料を請いに行った。

④すると、アリはキリギリスに、「どうぞ遠慮なく食べ物を食べてください。」と言い、食料を与えた。

⑤キリギリスは、アリの優しさに感動して、改心し、夏の間も真面目に働くようになった。

以上が、皆さまもよく知っている、日本に普及している波多野勤子監修『イソップ物語』(小学館)の概要だと思います。しかし、この物語の結末にはもう1パターンあるそうです。

すなわち、①〜③までは右の通りなのですが、

❹すると、アリはキリギリスに、「君は夏の間歌っていたのだから、冬の間は踊ればいい。」と言って、食料を与えることを断った。

❺キリギリスはアリの言葉に触発されて、「そうだ。自分は夏の間あれだけ楽しんで歌ったのだから、もう悔いはない。アリさんどうか僕の死骸も食料として、生き延びてください。」と言い、死んでいった。

という結末です。④⑤を結末とする物語から読み取れる教訓は、一生懸命働くこと、また、人を思いやることが大事だということでしょう。一方、❹❺を結末とする物語からは、生きとし生けるものにはそれぞれの生き方があり、その生き方の責任はそれぞれにある、という教訓が読み取れるでしょう。

どちらの結末もとても良い教訓であると言えます。しかし、いかにも現実的であると考えられるのは❹と❺を結末とする物語でしょう。仏教の教えに近いのも、❹❺の結末だと言えるでしょう。

仏教徒の目的は成仏することです。成仏するために私たちは人生という修行をしています。その間に、それぞれの人が各々のやりやすい、精神的にも肉体的にも安定を図れる方法を見つけ出すことが肝要であると思います。しかし、その自らがやったことにしっかりと向き合い、それを背負い、責任を取るという但し書きが付随することは否めません。

夏の間歌って過ごしたことを後悔せず、自分らしい生き方だと理解し、アリに迷惑をかけずに、むしろ最終的にはアリの食料となって死んでいったキリギリスのような生き方を、日蓮聖人は「法華の修行」とおっしゃったのだと思います。

もっとも、④⑤を結末とする物語を教訓とするか、❹❺を結末とする物語を教訓とするかは、私たちそれぞれの生き方に即さなければならないことは、言うまでもありません。

樹源寺のお檀家の皆さまの安泰、ますますのご活躍をお祈りして、ご挨拶とさせていただきます。

我此土安穏 天人常充満

最後までお読みいただき、ありがとうございました。

日蓮宗妙秀山樹源寺 副住職 日比宣仁 慈翔院日仁

 

鹿苑第1号

樹源寺 法話箋鹿苑第一号

二〇一六年 春夏

樹源寺副住職 日比宣仁(せんじん)

  • ごあいさつ

いつも、お檀家の皆さまには大変お世話になっております。ご先祖さまや、樹源寺の仏さま、諸天善神へお参りにいらっしゃる皆さまの姿を拝見する度に、心が引き締まり、さらなる精進を致したいと誓願を立てている日々でございます。

さて、先代住職(日比宣正)が初めて法話箋を発行させていただいたのは、昭和四十五年(一九六〇年)のことです。先代は、仏さまの教えを皆さまにお伝えしつつ、樹源寺の主な年中行事(年始・春と秋の彼岸・お盆)のご案内をいたしたいという意向から、この法話箋を初めたそうです。今では、現住職(日比宣俊)が法話箋を引き継ぎ、今年も既に第一九一号を執筆したところでございます。この法話箋は先代の意向どおり、皆さまのお陰さまをもって、今でもお檀家の皆さまに仏さまの教えをお伝えし、樹源寺の年中行事のご案内をし続けることができていると言えるでしょう。そして、私もいつかはこの法話箋を引き継ぎ、絶やしてはならないと考えております。しかし、いきなり法話箋を引き継いで、年中行事のご案内はともかく、仏さまの教えを文章に書き起こすことは、中々取り組みにくいことでしょう。

そこで、この度、『樹源寺 法話箋鹿苑』という名前で、仏さまの教えを文章にする訓練として、毎年二回(上半期・下半期)お便りを発行させていただき、樹源寺大玄関の横に置かせていただくことに致しました。

つたない文章ではありますが、どうか皆さまのお目に、このお便りをかけさせていただき、ご指導、ご意見をいただければ、幸いであります。

 

  • 鹿苑について

さて、既に申しましたが、このお便りは『樹源寺 法話箋鹿苑』という名称にいたしました。この鹿苑という言葉は、インド北部、ガンジス河中流に位置するバラナシという都市近郊にあるマルガダーバという園の名前を漢字に意訳したものです。名前に鹿という語があるということは、鹿苑には鹿が沢山いたのでしょう。お釈迦さまは、菩提樹の木の下で悟りを開かれた後、この鹿苑において、お弟子さんに対して自らの悟りの内容を初めて説かれました。この出来事を初転法輪(しょてんぼうりん)と申します。「初めて法輪を転ずる」という意味です。「法輪を転ずる」とは、仏さまの教えを説くことを言います。仏教の歴史は、お釈迦さまによる、この「教えを説く」という行動から始まったと言えるでしょう。

仏さまの教えがいくら沢山あり、素晴らしいものでも、それを人々にお伝えしなければ全く意味がありません。私は、このことを心に留め、法輪を転じ続け、樹源寺の境内に仏さまの教えが遍満し、お檀家を始め、樹源寺に参詣される方、また、樹源寺にご縁がある方々のお役に、少しでも立たせていただきたいという願いを込めて、「鹿苑」という言葉をこのお便りの名称に入れさせていただきました。

我此土安穏 天人常充満

最後までお読みいただき、ありがとうございました。

妙秀山樹源寺 副住職

日比宣仁

慈翔院日仁