法話箋第191号

今年もお盆の時期が近づいてまいりました。お盆といえば幽霊の季節です。幽霊といえば江戸時代中期の絵師、丸山応挙(まるやま おうきょ1733-1795)が描いたあの薄気味悪い幽霊図が有名です。

ところで、ある時この応挙の幽霊図を二人のお婆さんが見ていました。すると、一人のお婆さんが、その恨みつらみの積もった凄まじい顔をした幽霊の眼を見て、ぽつりとこう呟きました。「あぁ怖い。あの眼は嫁の眼だ・・・」と。すると、もう一人のお婆さんも同じ幽霊の眼を見て呟きました。「あぁ恐ろしい。私はあんな眼で嫁を見ていたのかもしれない・・・」と。

つまり、一人のお婆さんは幽霊の眼を「嫁の眼」だとみました。そして、もう一人のお婆さんは同じ幽霊の眼を「自分の眼」だとみたのです。

さて、仏教では、私共迷いの世界に暮らしている凡夫の眼を「肉眼」(にくげん)といいます。それに対して、仏様の眼を「仏眼」(ぶつげん)とよびます。そして、凡夫の肉眼は「他人の非が見える眼」だといいます。それに対して仏様の「仏眼」は「自分の非がみえる眼」なのです。換言すれば、自己の非に目覚めることのできる眼が「仏眼」なのです。

なぜなら「仏眼」はその人の心が仏様と同じ心になった時に初めて備わる「眼」だからです。仏様の心とは自分のことよりも常に周囲の立場に立ってものごとを考え行動するような、自己中心の我が無くなった心をいいます。

このことから考えると、幽霊の眼を「嫁の眼」だと見たお婆さんの眼は凡夫の「肉眼」になります。しかし、幽霊の眼を「私の眼」だとして、自分の非に気付いたお婆さんの眼は「仏眼」だということになります。

幽霊の眼を「嫁の眼」だと見ているうちは、このお婆さん、絶対にお嫁さんと仲良くすることは出来ないでしょう。しかし、もう一人のお婆さんのように幽霊の眼を「自分の眼」だと思える様になったとき、このお婆さんはお嫁さんの立場に立ったことになりますから、きっと仲の良い嫁姑の関係が出来上がることになるのだと思います。

副住職がお嫁さんをもらいました。人ごとではありません。私も気をつけます。