「お彼岸」とは

毎年、気候のよい春秋のお彼岸の季節になると、テレビのニュース番組では各地のお墓参りの様子が報道され、お年寄りや家族連れの微笑ましい姿が目に入ります。お彼岸は日本の一つの大事な文化として現代に定着しているようです。
ご存じのように「お彼岸」は春分・秋分の日を中心とした前後三日の七日間を指しますが、この期間は、太陽が真東から顔を出し、真西に沈み、昼と夜の長さが同じ位になる時期にあたります。すなわち「暑さ寒さも彼岸まで」と言われるように、気候も昼夜の長さもちょうど真ん中になるわけです。
そしてこの現象と仏教で説く「中道」との語呂合わせ(但し、中道の本来の意味は単なる真ん中ではありません。)で、この期間をご先祖供養の彼岸会としたとも言われています。
しかし、「彼岸」の語句自体は梵語パーラミーターの音訳「波羅蜜(はらみつ)」に由来した仏教の重要な教義ですが、この「お彼岸」の風習は日本独自の文化で、他の仏教諸国にはみられない行事です。
すなわち『日本後記』【桓武天皇延暦十一年(792)より淳和天皇天長十年(833)までの編年史】によれば、平安時代に非業の死をとげた早良(さわら)親王(崇道天皇)の怨霊を慰めるための法会がその起源のようです。
同書によれば、光仁天皇の皇子であり、桓武天皇の同母弟である、早良親王は、いったん出家をしていましたが、桓武天皇の即位とともに皇太子となり、延暦四年(785)藤原種継暗殺事件に連座して、乙訓寺(おとくにじ)に幽閉され、淡路に流される途中で死去してしまいました。
しかしその後、皇室に種々の不幸が続いたため、「これは親王のたたりによるものだ」と考え、早良親王慰霊のため、崇道(すどう)天皇と追尊し、諸国国分寺の僧に春秋の七日間をもってその慰霊法会を営ませたそうですが、これが我が国「お彼岸」の直接の起源です。
この法会は、江戸時代になると庶民の間に先祖供養の「お彼岸」に形を変えて普及し、人々はこの期間にお寺やご先祖のお墓にお参りをするようになりました。その後、明治十一年(1878)には「春季皇霊祭・秋季皇霊祭」となり、更に昭和二十二年(1947)から、お彼岸のお中日を「春・秋分の日」として国民の休日と定め、日本を代表する一つの文化として現代に連綿と引き継がれているのです。
さて、「彼岸」の語句は、既述の如く、梵語(サンスクリット)のParamita(パーラミーター)を中国で音写した「波羅蜜(はらみつ)」に由来しますが、これを意訳すると「到彼岸(とうひがん)」・「彼の岸に到る」と言うほどの意味になります。
仏教では、我々凡夫が住む迷いの世界(生死のある世界)を“此の岸”すなわち「此岸(しがん)」とするのに対し、仏様のお悟りの世界を“彼の岸”すなわち「彼岸(ひがん)」と表現します。そして仏道修行の究極の目的は迷いの世界を離れて、この仏様のお悟りの世界たる「彼岸」に入り成仏(涅槃に入る)することにあります。
而して、迷いの「此岸」から悟りの「彼岸」に到達するにはその手段すなわち修行が必要となりますが、いくら一所懸命修行しても自分勝手な間違った努力・手段を取っていたのでは「彼岸」に到ることは出来ません。そこでお釈迦様が示された真に正しい努力に基づく修行・手段こそが「波羅蜜」に他ならないのです。
中国隋代の仏教学者、天台大師(538~597)は、その著『摩訶止観(まかしかん)』の中で、「たとえ一所懸命努力し精進しても、それが自分のため、自己満足の努力と信仰によるものであるならば、それはただの精進であり、精進波羅蜜とは言わない」(著者取意)と述べられ、単なる修行と波羅蜜の修行とを明確に区別されています。
そして、天台大師が主張される「波羅蜜」の正しい修行とは、自己の利益のみを目的とした不純な信仰に基づく修行ではなく、宇宙の真理たる縁起(えんぎ)法に基づいた修行、すなわち、関わり合いを大切にし、自分の事よりも周囲の立場に立った修行こそが「波羅蜜」であるとされています。
お釈迦様はこの「波羅蜜」を修行する便宜を図って、次の六つの修行に集約され、これを「六波羅蜜(ろっぱらみつ)」と呼ばれました。 すなわち、「布施波羅蜜(ふせはらみつ)」(広く物心両面にわたる施しをすること)。「持戒波羅蜜(じかいはらみつ)」(規律ある生活を営み、周囲に迷惑をかけないこと)。「忍辱波羅蜜(にんにくはらみつ)」(相手の立場を先ず考え、何事も腹を立てずに冷静に判断行動すること)。「精進波羅蜜(しょうじんはらみつ)」(正しいことはどんなことでも全力をあげて行うこと)。「禅定波羅蜜(ぜんじょうはらみつ)」(何事も心乱さず集中して行うこと)。「智慧波羅蜜(ちえはらみつ)」(部分的ではなく広く各観的に全体を見渡す智慧を養うこと)。
お釈迦様は、以上の六種の修行(波羅蜜)を自己中心的な心ではなく、常に周囲の立場を考慮に入れた気持ちで実践することにより、悟りの「彼岸」に到ることが出来るとおさとしになっています。
本来の「彼岸」にはこんな意味があるのですが、元来皇室行事として始まった、日本の「お彼岸」を、往時の人々は日頃現実に追われてついつい疎かにしてしまう、自己の心の修養と、ご先祖への感謝を実践する日へと合理的に進化させ、日本の大事な心の文化として残してくれたのです。
お彼岸の頃になると夏の厳しい暑さも、冬の辛い寒さも和らいで、のんびりとした清々しい季節を迎えます。
「お彼岸」には往時の人々が残してくれたこの日本独特の文化にひたり、菩提寺にお参りに行き、ご先祖のお墓を掃除して、感謝の気持ちを表すと共に、ゆったりとした気分で日頃のご自分の行いを反省してみるのも意義のあることだと思います。