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「お会式(おえしき)」とは

「その時おもむろに日蓮の唇が動いた。昔のままのさびのある強い声が聞こえた。それは経を読誦し始めたのである。

日昭がこれに和(あわ)せた。荘厳な音の波が、ひろがって屋の棟に充ち、あけひろげてある庭へひろがって行った。うちふるい涙に溺れながら、弟子たちはこの声に和せた。その声が一つになって、見えぬ翼をひろげながら澄みわたった空の高みへ昇って行くようであった。

宇宙そのものが一つの音律に鳴り始めたようであった。その中に日蓮の声が次第にひくくなって行くのが感じられたのである。誦経が壽量品の中ほどまで来て、その声が消えた。と、同時に、ひろい家の棟が突然にゆるぎはじめた。

地震であった。明るい庭の木々も揺れている。その中に季節を外れて花を咲かせている桜の木があって、白い花びらが一二片、静かな宙に散るのが見えた。」    大佛次郎「小説日蓮」より。

弘安5年(1282)10月13日、武蔵国池上(現在の東京都大田区)の地において、宗祖日蓮聖人はおおぜいの弟子達の見守る中、その波瀾万丈のご生涯を61歳をもってお閉じになられました。

「お会式(おえしき)」とは、その日蓮聖人ご入滅の忌日(10月13日)を中心に、全国津々浦々の日蓮宗寺院で執り行われるご報恩の法会を指します。

法華経の精神に基づき、「来世の安穏は現実を逃避しては決して得られない。今この現実を精一杯に生き抜き、常に前向きに日々の生活を充実させてこそ真の安心はありうる。」とお説きになり、激しい布教活動を展開された日蓮聖人のご一生は、時代を超えて多くの人々を勇気づけました。

そして、その御教えに対する報恩感謝の法会が「お会式」に他ならないのです。
「お会式」の「会式」とは元来「法会の儀式」を略したもので、特に日蓮宗に限って使用した言葉ではないのですが、昔から日蓮聖人を慕うあまりにも多くの人々が盛大な聖人の忌日法会を行なって来たことにより、現在では「お会式」と言えば直ちに日蓮聖人の報恩法会を指す言葉になっています。

中世の頃には「大会(だいえ)」「御影講(みえいこう)」「御影供(みえいく)」「御命講(おめいこう)」等と言われていたこともありましたが、これは日蓮聖人の御影(肖像)のまえで開く講会という意味から名付けられたものです。

現在「お会式」と言えば、聖人入滅の地である東京大田区池上本門寺の「お会式」が最も盛大で有名ですが、これは、まだ「御影講」と呼ばれていた時代、すなわち元禄の頃から、既に江戸を代表するような大きな行事となっていたようです。

すなわち、「御命講や油のやうな酒五升」芭蕉。「精進の多き大工や御命講」許六。「御影講の蓮やこがねの作り花」蕪村。「御命講の華のあうじや女形」太祇。などの俳句や和歌、更に、戯曲や錦絵などの文学や芸術作品からも当時の江戸庶民に浸透した「お会式」を偲ぶことが出来ます。

冒頭に掲げました、大佛次郎(おさらぎじろう)の小説の中に、日蓮聖人がご入滅された直後に大地が振動し、時ならぬ桜の花が咲いたという古来からの伝説が織り込まれておりますが、大地の振動は「瑞相(ずいそう)」と言い、法華経の「序品」に、前代未聞の正法たる法華経が説かれる吉相(めでたい相)として、「大地が六種に振動した」と記されていることによると思われます。すなわち、日蓮聖人を慕う人々は、そのご入滅を単なる「死」と捉えず、日蓮聖人が永遠の涅槃(悟りの世界)たる霊山浄土におもむかれ、以後、人々を導き続けて下さる吉相として捉えているのです。「お会式」にお赤飯を炊いたり、紅白の幕を張ったりするのはこのためです。

また、ご入滅の10月に時ならぬ桜が満開に咲いたことから、現在でも各地の日蓮宗寺院では「お会式」に紙でしつらえた桜を飾り、桜の花をなぞらえた「萬灯」をかついで練り歩きます。殊に上述の池上本門寺の「萬灯行列」(聖人入滅の逮夜にあたる10月12日に行われる)は現在でも有名ですが、この風習は文化文政期以後に登場したようです。

樹源寺では毎年10月16日に「お会式」を執り行います。古くからのお檀家はご存じでしょうが、私が子供の頃には近所の組寺から数本の萬灯行列が樹源寺に集結し、門前には夜店もでて、お題目の太鼓が夜遅くまで鳴り響き、毎年お会式が来るのを待ちわびた記憶があります。

残念ながら、交通事情等により現在樹源寺の「萬灯行列」は廃止されてしまいましたが、「お会式」は今日でも樹源寺の最も大切な行事の一つとして脈々と引き継がれています。

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