法話箋第190号

人は誰しも「悔いの無い人生」を送りたいと思っています。しかし、私共の長い人生には誰にでも必ず「苦労」や「困難」や「挫折」があります。だから大抵の人が「あの苦労さえなければ良い人生でした」とか、「あの困難さえなければ素晴らしい人生でした」とか、「あの挫折さえなければ最高の人生でした」といいます。

しかし、本当に苦労も困難も挫折もないような完璧な人生が「悔いのない人生」といえるのでしょうか。だって、この世の中には苦労も困難も挫折もない人なんて一人もいないのですから・・・・。もしそうなら「悔いの無い人生」を送れる人は誰もいなくなってしましいます。

だから私はこう思います。「あの苦労があったからこそ今がある」「あの困難があったからこそ今がある」「あの挫折があったからこそ今がある」といえるような人生。つまり、苦労や困難や挫折を乗り越えて「あの時はどうなるかと思ったよ、しかし、あの時あの困難があったからこそ今があるんだ」といえるような人生。これが本当の「悔いの無い人生」だと思います。そして、こう思えた時、人生における不運は不運ではなくなります。そしてその不運が、自らの心を鍛えるための試練であったことに気づくことが出来るのです。

日蓮聖人は聖寿38歳の時にしたためられた『守護国家論』という論文の一節に「この生(しょう)を空(むな)しうすることなかれ」とお述べになり。聖寿56歳の時にしたためられた『富木殿御書』というお手紙の一節に「一生空(むな)しくすごして、万歳(ばんざい)悔ゆることなかれ」とお述べになっています。このように日蓮聖人は執拗に人生を漫然と過ごしてはならない。大切な一生を無駄にしてはならない。悔いのある人生を送ってはならない。と私共に警鐘を鳴らされています。

そして、日蓮聖人のおっしゃる「悔いの無い人生」とは、当に世間の苦労や困難や挫折をのり超えた時、初めてつかめる真に充実した人生をいうのです。それはあたかも、汚い泥沼から養分をもらい、しかもその泥の汚れに染まることなく、清楚で真っ白な大輪の花を咲かせる白蓮華のような人生。『妙法蓮華経』の教えに則った人生をいうのです。